あいちトリエンナーレ企画展「表現の不自由展・その後」展示中止に対する抗議声明

 

「あいちトリエンナーレ2019」は8月1日に開催されたばかりですが、その企画展「表現の不自由展・その後」が3日夕べには中止されることが発表されました。

 

私たち「女性・戦争・人権」学会は、設立当初より、日本軍「慰安婦」問題=日本軍性奴隷制問題を学術的に研究してきました。私たちは、今回のあいちトリエンナーレにおける「表現の不自由・その後」展の開催中止の発端となった、「平和の少女像」展示に対する河村たかし名古屋市長の政治介入および菅義偉官房長官による補助金交付の見直しへの言及に象徴される日本政府の圧力に対して強く抗議するとともに、「表現の不自由展・その後」の再開、そしてあいちトリエンナーレの円滑な運営を求めます。

 

今回の企画展「表現の不自由展・その後」は、これまで日本の公立美術館やギャラリーで展示を拒否された芸術作品を、その経緯の解説とともに展示するものでした。日本軍「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、公共の文化施設でタブー視されがちなテーマを表現する作品が排除されてきた状況について、作品を実際に観て自由に考える機会を得ることができる画期的な企画です。

 

特に「少女像」として多くのメディアが言及する「平和の少女」像は、そもそも、1991 年に金学順(キム・ハクスン)さんが世界で初めて、民間業者が戦場を連れまわしただけとして無責任に問題を放置してきた日本の政治家たちの妄言に抗議するため、日本軍性奴隷制の被害者として名乗りを上げ、その告発に励まされ立ち上がった多くの女性たちの運動に敬意を表するために制作されました。

 

日本軍性奴隷制の被害者は様々な被害を経験してきました。なかでも当時、日本の植民地であった朝鮮半島では多くの女性が「慰安婦」とされました。彼女たちは東南アジアや南太平洋にまで広がる戦地に移送され、慰安所で壮絶な体験をし、その後も故郷に帰れなかったり、命を落としたりしました。その深刻な被害は元「慰安婦」の方々の多くの証言や、それらの地道な聞き取りや研究によって明らかにされてきました。

 

韓国では金学順さんの告発後、1992 年から毎週、ソウルの日本大使館前で「水曜デモ」が開催され、加害の責任、とりわけ戦時の人権侵害に対する法的責任をとり、歴史教育が行なわれるようにという日本政府への訴えが続けられています。「平和の少女像」(作家の命名)である「平和の碑」は、挺身隊問題対策協議会の提案で「水曜デモ」1000回を記念して2011年12月に建立されました。日本政府に法的責任を求め、二度と同様の戦時性暴力による女性の人権侵害が生じないよう平和を希求する女性たちを記念したものです。そうした市民の活動に対して、日本政府は像を建立しないように韓国政府にさまざまな圧力をかけたといわれています。また建立後は韓国政府に撤去を求め、あるいは韓国以外での「平和の少女像」の建立に対しても圧力をかけています。

 

今回、「平和の少女像」の展示が始まった当初より、多くの嫌がらせの電話があったと報道されています。こうした「平和の少女像」への無理解と敵意は、当時の日本軍、内務省を中心に設置、運営された性奴隷制度の存在そのものを否定し、過去に誠実に向き合うことを誓った 1993 年の河野談話をなきものにしようというものです。その背景には、戦時性暴力の根絶を目指す国際社会の努力に背を向ける政治家の発言と日本政府の態度があります。

 

私たちは、今回の暴力を示唆する脅迫行為を非難するとともに、「平和の少女像」の展示に対する政治的圧力に強く抗議し、河村たかし名古屋市長と菅義偉官房長官の発言撤回を求めます。そして「表現の不自由展・その後」が再開され、あいちトリエンナーレが円滑に運営されることを求めます。

 

「女性・戦争・人権」学会

2019年8月5日

 


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